May 7, 2015

出家詐欺

 NHKが昨年5月に放送した報道番組「クローズアップ現代」の「追跡 “出家詐欺” ~狙われる宗教法人~」(参照)において「やらせ」が指摘され、NHKは調査委員会を設けて調査報告書(参照)をまとめた。

 本報告書は、いわゆる「やらせ」はなかったものの「過剰な演出」や「視聴者に誤解を与える編集」が行われたことは遺憾であり、再発防止に向けて取り組んでいくと結ばれているのであるが、やはりというか物議を醸している。

 念のため押さえておくと「出家詐欺」とは、出家すれば戸籍の名前を変えられる仕組みを悪用して多重債務者を別人に仕立て上げ、金融機関から住宅ローンを騙し取ったりする手口をいう。ちなみに私の場合、生まれたときから「哲朗」という名前であり、平成5年に「得度」(出家)したが「哲朗」という名前がそのまま僧名となっている。

 「やらせ」なのか、それとも「過剰な演出」なのか。私にはよく判らないし、また判らなくても正直あまり困らないのだけれども、出家得度に伴う改名がどうのように犯罪に利用されるのかについては大いに関心を持った。

 本報告書を読んでいると、7ページにカラクリが明かされていた。A氏とは「出家を斡旋するブローカー」として紹介される男性、B氏とは「多重債務者」として紹介される男性である。

 相談でのやりとりは、約19分の映像素材が残されており、A氏は「得度」「度牒(どちょう)」「僧籍」などの専門的な用語を用いながら、出家によって名前を変える方法やそれに要する費用、家庭裁判所における手続きが必要であることなどをB氏に説明している。「寺との間の話はこちらでまとめておく」「10前後の寺とそういうやりとりがある」などと語り、寺との間を仲介することに言及している。 
 さらに、名前を変えた後に必要な手続きとして、「ただし、その後、ひと月かふた月くらいで本籍地を転籍して欲しいの。そうすることによって、そういう債権者が追及出来ない」などと説明している。自治体の担当者に確認したところ、氏名変更後の戸籍謄本には旧氏名も付記されるが、本籍地を別の自治体に移すと旧氏名が表示されなくなるとのことであった。

 なるほどと思った。それから、出家によって戸籍上の名前まで変えてしまえる制度についてぼんやり考えていた。出家得度によって僧名に名前が改まるわけであるが、得度とは本山あるいは師僧の下で戒を授かって仏門に入り僧侶となる儀式をいう。つまり僧名とは「戒名」に他ならない。断っておくと「戒名」とは厳密には漢字2文字であり、この「戒名」に付加された「院号」や「位号」を含む文字列全体は「法号」と呼ぶのが相応しい。

 ふつう「戒名」といえば、亡くなった後に菩提寺の住職から授かるものと相場が決まっているのだけれども、本来は仏門に入って僧侶となった証しが「戒名」なのである。だから死後に「戒名」が授けられるようなあり方は「没後作僧(もつごさそう)」と呼ばれている。読んで字のごとく、没後に僧侶となっていただいた上で浄土にお送りしようというものである。

 現実には生前に授戒会などを通じて戒名を保有する檀信徒もいるわけだが、そうした篤信の檀信徒が家裁や役所へ出向いて戸籍上の名前まで戒名に揃えるといったことはない。不可能なのである。

 得度についてもう少し詳しく触れると、それぞれの宗門に僧侶として籍を置く際に「度牒」という証明書が交付されている。遡ること持統天皇(645〜702)の治世には、毎年10人しか得度の官許が得られず、その狭き門を通り抜けた度者には太政官印が捺された「度牒」が発給された。こうした王朝時代の官僧が何をしていたかと言うと、もっぱら国家を鎮護するための加持祈祷である。

 ところが、僧侶は納税や兵役などの課役を免除されるという特権を有していたため、官許を得ることなく勝手に僧侶となる「 私度」が後を絶たなかった。こうした「私度僧」の存在は国家にとって大きな脅威であり、よって厳しく処罰されていたわけであるが、しかしながら「私度僧」の中にも心がけの良い者は少なからずいて、事後承諾的に官許を得て得度するケースも見られた。あの行基菩薩や弘法大師も「私度僧」から名を成している。

 こうしてかつては朝廷によって発行されていた「度牒」が、鎌倉時代まで時代が下るとそれぞれの宗派がそれぞれのルールで「度牒」を給付するようになる。そしてさらに時代が下って今日、改名詐欺に「得度」や「度牒」といったものが介在する事態になっているわけであるが、いつの時代も人間は逞しく生きているものだなと感じ入ってしまった。

 つらつらそんなことを考えている中で、僧名は僧名で、わざわざ戸籍の名前まで変更する必要があるのかなと思うようになっていたのだが、実務面を確認したところ、戸籍の名前も僧名に揃えておかないと住職に就任したときに代表役員の登記が出来なくなることが判明した。どうにも抜き差しならぬものであるらしい。

 その一方で、戸籍制度そのものが時代の流れにそぐわなくなっている現実がある。俄かに戸籍制度の行方が気になり始めるのであるが、じつは冒頭に挙げた調査報告書の10ページに、多重債務者であるB氏が「マイナンバー」の導入前に何とか改名しようと画策していたことが明かされている。

 B氏は、番組で撮影したA氏への相談について「総背番号制(マイナンバー制)になると出家の手口ができなくなってしまうので焦っていた。本気で相談に行ったが、費用のほか、一定の日数修行が必要だと言われたので負担に感じ、保留した」と述べた。

 数字12桁から成る「マイナンバー」は、今年の10月からカードで通知され、来年の1月から順次、利用が開始される。この制度の開始時から戸籍事務もその利用範囲となることが漏れ伝わっていたが、各自治体の戸籍事務のコンピュータ化が完了していないことなどの理由から、結果的に見送られた。ただし、現在も戸籍事務の「マイナンバー」導入は継続的に検討されている。

 「クローズアップ現代」は好きな番組で、出家詐欺を取り上げた回も風呂上がりに見ていたのをしっかり覚えている。日記を見ると、その日は朝から臨月の妻が病院に検診のため出かけたり、当時3歳だった娘が2日前から高熱と嘔吐で寝込んでいたため義母が泊まりに来たりした日であった。それでよくテレビ見ていられたなと我ながら感心する。

 その日、番組を見終わって「出家かあ」と思ったものだった。お釈迦さまのように妻子をふり捨てて流浪の旅に出たらどうなるのだろうか。それは「出家」ではなく「家出」ですよ。そんな声も聞こえてきそうな気がする。

Profile

吉田哲朗(よしだ・てつろう)
1973年愛媛県生まれ。青山学院大学経済学部卒業。浄土宗僧侶、総本山知恩院布教師。前・海立山延命寺住職。現在、東漸山金光寺副住職。

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