もっとも、娘がはじめからプリキュアを好きだったかと言うと、そうではない。もっと小さかった頃はアンパンマンだった。保育園で大好きな年上の女の子がプリキュアが好きというのに影響されて、一生懸命プリキュアを好きになろうとするも悲しいかな心はアンパンマンという時期が、間違いなくあった。
プリキュアは2004年から1年毎に模様替えして続いているシリーズ物である。娘は昨年あたりからプリプリ言うようになったが、当時のプリキュアは『ドキドキ!プリキュア』という作品名のものである。現在放送されているのは『ハピネスチャージプリキュア!』というもので、プリキュアを見終えた後の娘は、まさにハピネスがチャージされましたみたいな顔をしているので何も言えない。
私は毎週日曜に娘につき合ってこのアニメ番組を見ているのであるが、娘が「プリキュア」と呼ばれる少女たちに夢中になるのに対し、もっぱら私の関心は悪者に注がれる。
前作では「キングジコチュー」と呼ばれる悪魔が登場したが、この横暴きわまりない悪魔もかつては心優しき国王であった。ところが愛する娘が原因不明の病に侵され、娘を救うのと引き換えに自らはジコチューに身を落とした。
今作の悪者は「サイアーク」と呼ばれる怪物である。「ナマケルダ」、「ホッシーワ」、「オレスキー」といった悪党どもの呼びかけで誕生するのであるが、この他に「チョイアーク」という弱小戦闘員たちが彩りを添えていて、そのヘッポコぶりにうっかりしんみりしてしまいそうになるから気をつけたい。
そういえば、一時期「ちょいワル親父」という言葉が流行った。年を重ねても色気を失わない、ちょっと不良っぽくてお洒落に貪欲な中年男性をさした呼称であったと記憶している。
これは私が一人で寺を切り盛りしていた頃の話。本堂で法事の後、参列者に茶菓を供していたところ、私より少し年上の家庭を持った女性がこう言われた。
和尚さん、真面目なのはそりゃあいいけど、今どきの女の子はそういうの疲れちゃうから。ほら、ちょいワルでしたっけ?あれですよ、あれ。私、あれがいいと思うわ。
ありがたい言葉だと思った。ありがたい言葉だとは思ったが、ちょいワルを目指したかと言われれば、目指さなかった。それは真面目が信条という理由などではなく、自分があまり真面目でない人間であることが骨身に沁みて解っていたからである。要するに、「ちょいワル」という目くらましみたいな自己演出が面倒臭かったのだ。
ところで、子供番組を見ていてよく感じることだが、子供だけでなく保護者も取り込もうという制作側の思惑みたいなものがプリキュアからも伝わってくる。サイアークは、低いがじつはそれほど怖くない声で「サイアーク!」と凄みながらプリキュアに襲いかかって行くが、毎回退治される。彼女たちから大仰な必殺技を食らい、そして最後に「天に帰れ!」という決め台詞を浴びて消滅するのである。
サイアークの消滅は「浄化」と呼ばれているが、なかなかよく考えられてるなと思わせるものがある。サイアークの最期の呻き、これがたまらない。
ゴクラーク!
油断しているとソファからずり落ちそうになる。多くの人は夕方のサザエさんで憂鬱な気分になるというが、私は朝ののっけから鈍器のようなもので頭を1発殴られたような気分になるのである。