(1/3) Earlier this morning, I was arrested and charged with DUI, excessive speeding and crossing double lane lines.
— Michael Phelps (@MichaelPhelps) September 30, 2014
(2/3) I understand the severity of my actions and take full responsibility.
— Michael Phelps (@MichaelPhelps) September 30, 2014
(3/3) I know these words may not mean much right now but I am deeply sorry to everyone I have let down.
— Michael Phelps (@MichaelPhelps) September 30, 2014
最初のツイートで触れられているけれども、制限速度が約72キロの道路を約135キロで走行しているところを摘発されたらしい。じつは2004年にも飲酒運転で逮捕されるという前科があり、やってしまいましたなあと言うよりほかない。
彼は「水の怪物」の異名を持つ、競泳界のスーパースターであるが、どこか開けっ広げな感じのする男でもある。ロンドン五輪後のWSJのインタビュー動画がなかなか面白い。
インタビュアーの質問に以下のように答えている。動画の3分34秒あたりからである。
I think everybody pees in the pool. It’s kind of a normal thing to do for swimmers. When we’re in the water for two hours, we don’t really get out to pee.
みんなプールでオシッコしてると思いますよ。スイマーたちにとってフツーのことです。2時間プールに浸かってて、わざわざオシッコのためにプールから上がるなんてことはありませんね。
衝撃的カミングアウトとでも形容したい誘惑に駆られるが、正直言うと「やっぱりそうだよね」といった感じである。そしてこのオシッコ上等発言はちょっとした波紋を広げたのだけれども、インタビュアーが質問の枕にしているように、じつはフェルプスが最初の人身御供というわけではなく、ロンドン五輪において同じ競泳アメリカ代表メンバーであったライアン・ロクテ選手が口火を切っている。
ロクテ選手は「プールでオシッコをするのは常識、ロンドン五輪のプールでもウォーミングアップ中ではあるけれど用を足した」といった主旨の発言をしており、フェルプスはその援護射撃をした形となっている。
フェルプスの告白を思い出しながら、ふと夏目漱石のことが頭に浮かんだ。というのも、かつて読んだ本の中に、漱石の友人が「銭湯のお湯の中でオシッコをするのはとても気持ちがいい」と告白して以降、それまで大好きだった銭湯通いをきっぱりやめてしまったというエピソードがあったからである。
もうこうなると気になって気になってどうしようもなくなってしまう。とりわけやらねばならない用事があったりすると余計に燃えてしまう。それで調べてみたら、あった。中村武羅夫の『文壇随筆』(参照)にあらましが綴られていた。
私が、湯の中で小便して、漱石に顔をあらはせて、大いに漱石をおこらしたといふやうなゴシツプが、つたへられたことがある。が、これはまちがひである。私だつて、まさか自分の小便で、人に顔をあらはせるやうな、そんな人の惡いまねをする筈はない。
それは多分、次ぎのやうな話しが、誤傳されたものだと思ふ。
その當時、漱石の家に、湯殿があつたかどうかを、私は知らない。漱石の家は、やつぱり現在の、早稲田南町だつたが、今のやうな堂々たる邸宅ではなく、確に家賃は四十五圓とかと漱石自身の口から聞いたことがあると思ふが、借家だつた。勿論、湯殿はあつたことだらう。が、直き前の錢湯に、よく出かけて來た。大抵、一番空いた十時ごろから二時ごろまでの間だつた。私も、よくその錢湯に行つたので、時々湯の中で出逢ふことがあつて、「やあ」「やあ」と、裸で挨拶するのであつた。
「先生、湯に入ると、自然に小便が出たくなりませんか?」
或時、私が、風呂の中で聞いた。
「湯の中でか?」
漱石は、やつぱり湯に 浸りながら、斯う反問した。
「さうです。」
「ないね。――君は、そんなことがあるか?」
「ぢや、僕だけですかね。僕は湯に入ると、自然に小便がしたくなるんです。」
「汚ないね。」漱石は口尻をしかめて苦笑したが、急に立ち上がつて、「そんなことをいつて、君は今、したんぢやないか?」と詰問した。
「そんなことがあるもんですか。」と私は笑つた。
「どうだか、怪しいものだ。君が小便したんだと、僕は、君の小便で顔をあらつたことになる。汚ないね。」
漱石は、もう一度顔をしかめて、苦笑した。
そんなことが、私が、自分の小便で、漱石に顔をあらはせたなどゝいふゴシツプに、誤りつたへられたのであらう。お蔭で私は、その後時々、德田秋聲氏と一緒に旅行などして、風呂には入つたり、溫泉に浸つたりする度に、「君、小便をしはしまいね。」などゝ、念を押されるのである。「僕と一緒の時には、そいつだけは、一つ勘辨してくれたまへ。」と秋聲氏は、私をからかふのである。
(中村武羅夫『文壇随筆』新潮社、1925年、9-11頁)
率直な感想を言えば、「どうだか、怪しいものだ」という漱石の心情にかぎりなく近い。というより、ゴシップの弁明になっていない気がする。なぜなら、武羅夫は湯船の中で間違いなく放尿する御仁だからである。秋声が「そいつだけは、ひとつ勘弁してくれたまえ」と釘をさした気持ちもよく解る。
それにしても飲酒運転はやっぱりよろしくない。飲酒運転は、例えるならプールや銭湯でウンコする程度には駄目である。ちょっとだけならいいとか、要するにそういう問題ではないのだ。